一日中雑然とした家のなかでも学べることはあるということ

長い人生のなか、こんな誕生日があってもよかったのでしょう。
なかなかこんなふうにゆっくりと目を閉じるしかない機会はない。


薬剤師である友人Cは、大量の食糧を持ってきてくれた。ちゃんとN95マスクをして。プロやなあ。
救援物資↓

夜中、熱は39度7分まで上がったけど、たいした幻視はなかった。ただ音がすごくて、豆をざるに入れてザッザッと揺らしているような音がずっと聞こえていた。
熱があがるほどに強くなる関節の痛みは、指の小さな関節にくることがわかった。特に手指のPIP、足指のIP。動かさない足は靴下をはいているかどうかわからなくなる。
闇にすれば眠れてしまう。熱があれば、闇のなかひとりでも金縛りは来ない。
友人AやTやMやRがメールをくれて、だいぶ元気になった。感謝の一言です。一人暮らしで病気すると、物理的苦しさより精神的不安定さのほうが大きい。
以上、28回めの誕生日に学び得たこと。


70歳の誕生日を迎えた伯母に電話をして、お互いのお祝いの計画を立てた。少しずつ、大人になっていかなければ。


28回めの誕生日の記念碑に

茨木のり子さんの詩集『倚りかからず』より
苦しみの日々 哀しみの日々

苦しみの日々
哀しみの日々
それはひとを少しは深くするだろう
わずか5ミリぐらいではあろうけれど

さなかには心臓も凍結
息をするのさえ難しいほどだが
なんとか通り抜けたとき 初めて気付く
あれはみずからを養うに足る時間であったと

少しずつ 少しずつ深くなってゆけば
やがては解るようになるだろう
人の痛みも 柘榴のような傷口も
わかったとてどうなるものでもないけれど
     (わからないよりはいいだろう)

苦しみに負けて
哀しみにひしがれて
とげとげのサボテンと化してしまうのは
ごめんである

受けとめるしかない
折々の小さな刺や 病でさえも
はしゃぎや 浮かれのなかには
自己省察の要素は皆無なのだから