Running OT 始めました

丸亀ハーフマラソン
1゚48'37"



ロードもトラックもひっくるめて、レースというものが実に4年ぶり。

大渋滞のスタートゲートをくぐり抜けた瞬間から、今回のテーマ曲が頭のなかで勝手にチョイスされてリピート再生が始まった。やっぱりB'z。

踏み出した 大きな一歩に 後悔は しないけど この先に 何が 待ち受ける…?


13km地点まで、楽しいことこの上ない旅路でありました。時計つけてないのでタイムに追われることもないし、きらなきゃならない標準記録もない、走ることに関してこれ以上なくすものはありません。応援は沿道に数あるし、後ろ位置からスタートしたせいでテンポよくどんどん前に行けます。
…でも、そんな甘くないよねぇ。15km過ぎ、ハーフマラソンで初めて、こりゃゴールまで行けない!という恐怖にかられました。この苦行の道が終わったらタンパク質を食べよう、とぼんやり考えるうち、眠くて眠くて仕方なくなります。恐らくは、あれが低血糖というやつだね。


もうひとつは、見える世界のこと。わたしがスタートしたのは随分うしろ。わいわいと話しながら進むひとや音楽を聞きながら走るひとがたくさんいました。すこし前に行くと道が空いて、光る道の上に空やビルが見えだしました。走るひとたちはやや無口になりました。隙間を縫ってもっと前に行くと、整った息遣いや足が地をつく音がする。懐かしい感じがしました。それは見える世界が変化する話です。きっともっと前行くひとは更にちがう景色をみているに違いありません。もちろん前だから良い景色というわけではなくね。

人は身体を通してしか世界を見ることは出来ない という言葉を相変わらず考えていました。それは『健全な精神は健全な身体に宿る』とかいうセンスのないものではない。もっと具体的でもっと多様であると。背が高いだとか、麻痺があるだとか、足が速いだとか、筋力が弱いだとか、眼が良いだとか。そこから見えるものは、すべて不健全さと可能性に満ちていないかと。
私は足を交互に前に動かし身体を進めながら、今の私が見える世界を眺めていました。この4年間見たことのなかった角度からのランナー達を。大好きな車の助手席から何度も見た丸亀の街を。もう来ないと思ってた宇多津の道の両側の風景を。初めて香川にきた日に渡った橋を。その風のいろ。太鼓のおとが作る空気のゆらぎ。応援にくると言った優しい夫婦の幻。8000人を越えるランナーのなかで、ただひとり私の身体を伴ってしか見えない風景です。

他の誰かが見ている風景に、さほど興味は湧きませんでした。でも、みんな、何かしらそれぞれの身体の内側からの景色に導かれてると思いました。勝手にね。

むかーしむかし、まだ太田川がジョグコースだった頃、走ってると頭がクリアになると思ったことがあります。
むかーし、テストで、10年後どんなOTになっていたいかと聞かれて、走るのを続けてるOTになりたいと書いたことがあります。走ることが私にとって、他者理解の一手段でありうると思っていた頃です。


いま、また同じようなところに立ちたいと思っている気がします。邪気があるかねぇ。だけど仕方ない。また旅の途中なのです。


夜、桜茶なるものをいただく。春を嫌いだと思う。なにも始まらない。