あかいもうせん みみにのこるかるま

<本日の屋島

彼は、スイートコーンの話をする。かつてカリフォルニアの大地を耕した、その短い両手をひろげて。目をキラキラさせて。しびれの残る太い指先で、苗の柔らかさを語る。大事そうに、愛おしむように。
彼は言う。悪びれもせず、笑いながら言う。「おたくらの仕事は、人の不幸の上にしか成り立たん。マイナススタートや。わしらの仕事は、ゼロ地点がスタートや。足し引きなしに人を幸せにできる。」
彼の言うことに間違いはなく、私はそうやなあとうなずく。スイートコーンが作れたらいいのに、と少しだけ思う。大抵の子供たちの例に漏れず、私も大好きであったとうもろこしの黄色を思う。
鍵を持っていることは優越性ではない。それは、後ろめたいことだ。むかし精神科のノートにメモしたフレーズをいまさらの如くなぞる。


世界は、芽吹きはじめた。


『「いい人」をやめると楽になる』『「ほどほど」の効用』……、タイトルが好きでないがゆえに避けてきた曽野綾子氏の著者を、何を思ったか衝動買い。

善人は、なぜまわりの人を不幸にするのか―救心録

善人は、なぜまわりの人を不幸にするのか―救心録

わかったことは、信じるものの力、この人の場合神を信じる力が与える強さだ。
「すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える、〜中略〜…これだけの凄まじい愛し方を、神は人間に要求した」
字面だけを捉えまい。