広島 見渡す山の端、朧月夜

昨夜のご飯がおいしくて食べすぎた…。実家に帰るたび、健康的に太る。結局、私が一番美味しいと思うのは母の作る食事だということを、26や27になってやっと確信した。原点回帰というのか、仕方のないことだ、私の体は、他でもないそれでできているのだから。
木蓮の花。

春先の霜が降りて、一夜にして茶色を帯びた。


昼間、父と母と三人で「今日はきっと海がきれいだ」とドライブに。ちょうど呉の美術館で会期中であった『島田アートな親子展』をみにゆく。ブッフィーノの冒険、という黒山羊の木版画シリーズがあって即一目惚れした。木版ユニット「ポロンパ」のお仕事も素敵だった。地元の農家やお店のロゴ、地域のポスターを手掛けてるみたい。

夕方近くなって、ふたりの[行きつけ]のドライブインに入った。一昨日はアラの煮付け定食を食べたとか、牡蠣の味噌丼定食を食べたとか、なんか結構楽しそう。私たちは、昼間から生ビールを飲んで飯蛸を咀嚼し、春子海老のかき揚げをかじり、釜揚げのじゃこをつまみ、言葉少なに(夢中で)それぞれの定食を平らげた。私の食べかたは、ふたりの食べかたによく似ている。かなしいくらい、よく似ている。それを、幸せなことだと思う。
満腹になって、三人で海に浮かんだ鴎(100は越えてた)を数えていたら、思わぬショーに当たった。料理人さんが魚の余りを投げてやる。そしたら、海に面して大きなガラス一枚で隔てられたその席に向かって、鴎とか鳶とかが急下降してきては旋回する。
鳶って、手で掴んだ食べ物を空中でひょいっと口に運ぶ。鴎は、嘴で取りに行く。

夜、父とたき火を。

炎はたかくて私たちの背をはるかに越えていた。いつかずっとずっと先、父の顔を思い出さなくても、火をみて思い出すことがあるでしょう。中途半端な私が、どこか不安な気持ちで、故郷のいえに、毎週のように帰りつづけた日々のこと。